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#9

代表の言葉
2026-9-15

先日、リリーフランキー「美女と野球」を通じて愛についての試論を試みました。
次はもう少しだけ「愛」ということについて考えていきたいと思います。

愛の反対は無関心だ、と言われることがあります。では、愛は無関心に勝つのでしょうか。最後には、人は誰かを思いやり、関わる方を選ぶのでしょうか。私たち人類の歴史は、どうもそのようにはなっていないように思います。

今回立脚する文章は、遠藤周作「沈黙」「イエスの生涯」です。
私自身はクリスチャンではありません。この二冊はキリスト教の勉強のために読んでもいません。なぜか手に取って出会ってしまった。それだけですが、皆さんにも時間があればぜひ読んでほしいと思う本です。

2冊共に、「神の沈黙」「人間の弱さとは何か」を徹底的に描いています。

まず遠藤氏は、イエスの愛を「人間には不可能な全身的な誠実、純粋、真実、自己否定を求めるものであった」と述べています。イエスは全てを引き受け、赦す。一方で、対比的に描かれる登場人物たちは、イエスと異なり、自分の弱さを拭い去ることができません。そのことは、「沈黙」でもキチジローを通して繰り返し表現されますし、「イエスの生涯」でも弟子たちや民衆の行為を下地に繰り返し描かれています。

前回、以下のように書きました。
私たちは、「与えること」「思いやること」「関わること」を大切にした人生を送りたい。そして、そのことを「私たちの人生を愛し、」と表現しました。

私たちは、良い関係にある方には「与えること」「思いやること」「関わること」が容易です。一方で、そうでない関係の方にはこれらが非常に難しい。私自身もそうです。すべての人に「与えること」「思いやること」「関わること」ができるわけではありません。できなかったこともありますし、これからもできないことがあると思います。

私たちの目的は、何度も繰り返しますが、「私たちの人生を愛し、幸せになること」だと今は決めています。私たちは弱さを含んだ人間です。「だからこの目的は実現不可能だよな」とか「だから性悪説で会社を運営すべきだ」と結論づけたいのではありません(もちろん、利他・団結を大切に、仲良く力を合わせて仕事をしてほしいと思っています)
弱さを正当化してほしいわけでもありません。ただ、周りの人にも自分にも等しく弱さがあることに気づいてほしい。その上で、それでも誰かを思いやり、関わろうとすることを大切にしたいと思っています。私たちが掲げる「私たちの人生を愛し、幸せになること」も、何か立派な人間になって初めてたどり着ける場所ではなく、不完全な私たちが、それでも向かっていく方向なのではないかなと思っています。

TOWARDS THE UNTAPPED POTENTIAL OF WHEAT

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